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Weps うち明け話 #1037

複雑な思いを払拭する(2020年7月21日)

 

 複雑な思いで迎えた最初の試合。

 それは1998年4月11日、Jリーグ1stステージ第5節のアビスパ福岡戦だ。

 

 Jリーグがスタートして6シーズン目。いろいろなことに慣れてきてはいたが、これは初めての経験だった。

 なぜなら相手の監督が、森孝慈さん。

 

 それまで相手の監督に個人的な恨みがあったことはなく、それ以降も(あまり)ない。

 わずかにあるとすれば、その人が過去にレッズに対して侮蔑的な言動をしたという些細なことにこだわる僕自身の性格が生んだものであり、基本的には相手チームの監督に対しては、必要なリスペクトの気持ちと闘争心を抱いてきた。といっても、僕が相手の監督と直接会う機会などほとんどないので、まったく自分の心の中だけの話だが。

 

 だが森孝慈さんは別だった。

 浦和レッズ誕生の際、レッズが浦和にしっかり根を下ろせるよう地ならしをし、誕生してからもそのための尽力を惜しまなかった人。それも監督という激務をこなしながらだ。

 個人的にも尊敬するところしかなかった。この人の話をずっと聞いていたい、自分のことを聞いてもらいたい、一緒に酒を飲みたい、一緒に仕事をしたい、一緒にいたい…、人間的魅力にあふれていた。

 成績不振の責任を取って93シーズン終了と共に退任。そのままクラブを去った。

 僕としては監督でなくても、それ以前のようにクラブの幹部として舵取りをしてもらいたかったが、森さんとしてはけじめを付けたかったのだろう。

 

 そんな森さんが監督を務めるチームと対戦するのは本当に複雑な心境だった。

 レッズにはもちろん勝って欲しい。だが森さんが負けるのはしのびない。

 当時、レッズの監督は原博実さん。彼もまた森さんに指導された選手の一人であり、恩師との対戦になる。当時のMDPの監督メッセージの最後に、原さんは「森監督、行きますよ!」と書いている。やはり普通の1試合ではないと意識していたのだろう。その一文を見て、また複雑な心境になったのを覚えている。ちなみに試合はそんな僕の心持ちを反映したわけではないだろうが、2-2の同点で延長PK戦の末にレッズが勝った。

 

 森アビスパ戦で非常に強いインパクトを感じたせいか、原さんが監督を務めるFC東京と対戦したときなどは、だいぶ慣れていた。

 小野伸二や永井雄一郎がプレーする清水戦は、やはり複雑だったが、それを越えれば「元レッズ」選手との対戦など普通にあることだから、それほどこだわらなくなった。

 次に一つ大きなヤマだったのは、中村祐也のいる湘南戦。さらに高橋峻希のいる神戸戦だった。祐也は小学生、峻希は中学生のときから見てきた選手。やっとプロとして浦和レッズで一緒に闘える、と思ったが数年で移籍。正直、なんで(外へ)出しちゃうんだよ!とクラブに不満も抱いた。山田直輝ももちろんそうだが、彼の場合は期限付き移籍中の選手として何度か対戦していて、今年初めて本籍湘南の直輝と対戦したので、それほど感傷的にならずに済んだ。同点ヘッドを決められたときは「おまえ、レッズにいたときは湘南戦で決めなかったのに…」と心の中でつぶやいたが。

 

 レッズの育成時代から見てきた選手が他クラブでもJリーガーになって活躍するのを見聞きするのはうれしい。半面、J1でレッズと対戦するときは複雑な心境になる。それは僕だけではないだろう。

 

 明日は、これまでともまた違った心境になるに違いない。

 今季、新潟から柏に移籍した戸嶋祥郎。関根貴大と同時期の2008年から浦和レッズジュニアユースで育ち、ユースには昇格せず、さいたま市立浦和高校へ進学。3年生のときはサッカー部を全国高校選手権に導いた。その後、一般入試で筑波大学に進むと、関東リーグで優勝。MVPにもなり、ユニバー代表でも優勝に貢献した。

 2018年に新潟に加入。レギュラーとして2シーズン過ごし、今季柏に移籍。J1デビューを果たした。

 

 2010年のバックナンバーを見てもらうとわかるが、その年僕はこのコラムでレッズジュニアユースのことを何度も取り上げている。2011年の1月には、中3生の「卒業式」のことまで書いている(#270「最後のメンバーコール」)。

 その年代にはなぜか惹かれるものがあった。全国優勝はしていないが、結束力が抜群に強く、試合は見ていて常に小気味良かった。

 そんな中、戸嶋は副キャプテンを務めていたがレギュラーではなかった。しかし試合中、一番大きな声を出していたと思う。まだ変声期前の声はよく通り、ベンチから仲間を励ます声が、ゴール裏で写真を撮る僕のところまで届いていた。ハーフタイムになると出場している仲間のために水を運び、試合中は声を出す以外に周りに目を配っていた。当時の池田伸康監督は「この学年は指導者いらず」と笑っていたが、その最たるものが戸嶋だったと思う。チームのために必要なことは何か。先を先を考えて動いていた。プレーの技術や闘志は他の選手に劣っていなかったと思う。ただ身体はまだこれから伸びるところだった。おそらくパワーの部分で先発を任されることが少なかったのだろう。

 

 だから2013年に高校選手権埼玉県予選で優勝したときはうれしかった。11月10日はレッズがアウェイで仙台と対戦した日だったが、僕は駒場で県予選の準決勝第1試合・市立浦和vs武南高を見てから仙台へ向かった。

 彼の自宅は僕の仕事場の近くで、学校の帰りにたまにばったり会うこともあった。見るたびに背が大きくなっていたのも思い出す。近所の洋食屋さんの奧さんが「あら、祥郎(さちろう)くん、知ってるの? よく家族で食べに来てくれるのよ」と言っていたので、選手権のことを話すとすごく喜んでいた。

 市立浦和高全国選手権出場の報告をレッズのホームゲームで行ったのだが、そのときは「この選手はレッズジュニアユース出身ですよ!」と周りに言いたくなった。

 

 大学でも活躍している様子を聞いて、レッズは戸嶋にオファーを出せばいいのに、と思うようになった。もともとクラブスタッフになっても指導者になっても、きっと良い仕事をするに違いないと思っていたのだが、選手として獲得するのにふさわしい実績も挙げているのだから。

 だが、僕がそんな口を出せるはずもなく、戸嶋は新潟に加入した。少し残念でもあったが、Jリーグにいるということは、レッズに移籍する可能性もあるということで、その点はうれしかった。新潟でもすぐにレギュラーを獲得した。ほら、戸嶋獲れよ、3年計画に必要だぞ、と土田スポーツダイレクターに心の中で言っていたが、テレパスではない悲しさ、思いは届かなかった。

 

 今季の戸嶋は第2節で途中出場。その後先発フル出場、先発途中交代、前節はベンチ。立派なJ1戦士だ。それは本当にうれしい。これからもっと伸びていって欲しい。

 だが、柏の戸嶋にレッズ戦で活躍して欲しくはない。そんな「恩返し」はしないでいい。

 

 久しぶりに複雑な心境になった。

 だが書いてすっきりした。明日はしっかり柏を下して欲しい。

 

EXTRA

 戸嶋に加えて、今季から鹿島に加入した広瀬陸斗、今季からJ2の群馬に加入し2ゴールを挙げている進昂平、J3の富山で1試合に出場している柳下大樹。関根の年代はプロになっている選手が多いし、中でもJ1プレーヤーが3人いる。7月4日(横浜FM戦)の電子版MDPで関根は「一緒にやっていた選手が活躍すると焦りますし(笑)、自分も頑張らないといけないという気持ちになります」と言っているが、みんなこれからも大いに刺激を与えて欲しい。くれぐれも戸嶋は明日の試合以外で。

 そして、いつかみんなレッズで一緒に。そんな夢ぐらい抱いたっていいだろう。

 

(文:清尾 淳)