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Weps うち明け話 #1113

深く関われた2枚の写真(2021年12月6日)

 

 

 ここしかないか…。

 空いているエリアはコーナーフラッグに近い場所だけだった。

 

 僕がまだMDP用の写真を撮っていたころ、スタジアムに着くとまず自分が座りたい場所にイスなどを置いて確保した。ゴールとコーナーの中間地点ぐらい。目安としてはペナルティーエリアのラインがゴールラインに当たるポイントのやや外側という地点だ。そこに何かこだわりがあるわけではなく、試合中の写真を自分で撮りはじめたころ多くのカメラマンがその辺りに陣取っていたから自分も行ってみたら、なるほどここがベストだな、と思えた。

 そこなら多くのシュートシーンが視野に入るし、外から中に入ってくる選手の表情も見える。これ以上ゴールに近いとシュートを打つ選手がゴールネットやポストで遮られる可能性が高くなるし、コーナーに近付くとサイドの選手を背中から見ることが多くなる。もちろん、それぞれの地点ならではの角度もあるから、誰かをピンポイントで狙うのならそれに適した場所がいいのだが、僕は“撮りこぼしの少ない”地点を選んでいた。2001年から2011年くらいにかけてMDPの写真がいつも同じようなアングルだったのは、MDPに使う写真を僕一人で撮っていたから無難な撮り方をするしかなかったから、と言い訳しておこう(笑)。

 

 だが状況によっては、その場所が確保できないこともある。カメラマンが多い試合の後半がそれだ。

 僕はレッズが攻める側のゴール裏で撮るから、ハーフタイムに移動する。だが、たとえば新聞社など同じ媒体で複数のカメラマンが来ている場合は前後半で動かないことが多い。あるいは違うチームを撮りに来たフリーのカメラマン同士が、前後半でお互いの場所を交換するという手段もある。そうすると、後半のサイドに行ってみると人気スペースはほとんど空いていないことが多いのだ。

 とはいえ、そんな多くのカメラマンが撮影に来る試合は年に1~2度あるかないか。

 優勝が決まる試合、それも他に試合が行われていない、カップ戦の決勝がそれだ。

 

 2003年11月3日、旧国立競技場、Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝。

 前年、この大会で初のファイナリストになったレッズは鹿島に敗れ、タイトル奪取はお預けとなった。1年後、決勝が2年連続同じ顔合わせとなり、Jリーグは「連覇か雪辱か」というキャッチコピーを付けて試合を盛り上げた。

 小雨が降る中、山瀬功治のヘディングシュートで前半レッズが先制した。終了間際に坪井慶介とエメルソンが激突し両者が流血するというアクシデントがあったが1-0で後半を迎えた。

 ハーフタイム、逆サイドのゴール裏に移動した際、冒頭にあるように、メーン側のコーナーフラッグ付近しか場所はなかった。

 その“残り物”は僕にとって、大きな“福”だった。

 エメルソンが追加点を挙げ2-0となっていた56分、田中達也がゴールを決めるとそのままコーナーの方へ走り、最後は両膝で滑り込んだ。止まったのは僕の目の前だった。

 これは「達也の」という枠ではなく、僕が撮ったベストテンに入るショットだと思っている。同時に浦和レッズ初戴冠を決定づけたときの写真でもある。たぶん、前日にニューヒーロー賞を獲得した達也がMVPも受賞することが決まった瞬間でもあっただろう。

 

 達也に関するもう1枚は、決定的シーンではない。多くの人たちと思いを共有したかった写真だ。

 2006年7月22日、等々力競技場、前半30分。右サイドを上がる闘莉王に、小野伸二が素晴らしいタッチで相手をかわしてパス。闘莉王からボールを受けた達也はペナルティーエリア手前で左足を一閃。ゴールのニアサイドをぶち抜いた。2005年10月15日の柏戦で右足を脱臼骨折してから9か月。7月19日にホーム埼スタで先発し復帰を果たしてから2試合目で、達也らしい“ワンダーゴール”を決めた。

 

 ひとしきりピッチを駆け回ってから、達也は遠い方のゴール裏にいるレッズサポーターに向かって左手を突き上げた。シュートを決めてからの一連の動きはおそらくケガをする前とほとんど変わらなかったのではないか。だが見ている側にとっては万感の思いがある。もちろん本人もそうだっただろうが、振り返ったのは試合が終わってからかもしれない。

 

 サポーターの方へ手を上げたのはほんのわずかの時間だった。そこを切り取ったこの写真は、達也がサポーターに応えながら苦しかった9か月間をかみしめているように見えた。

 サポーター、スタッフ、チームメート、家族、そのほか達也の周りの人たちの思い。それを表わすベストな写真になっていると考え、次のホームゲームで発行するMDPの表紙にさせてもらった。

 

 

 

 

 

 田中達也現役引退のニュースを聞いて思い浮かんだシーンはたくさんあったが、自分が彼のサッカー人生に深く関われたと自負するのは、この2枚の写真を撮れたことだ。

 浦和が育てた、日本のワンダーボーイ。サッカー選手としての彼と共有できた12年間は、浦和レッズがJ1に復帰した再スタート元年に始まって、初戴冠から黄金期と呼ばれる期間を作り、苦しい混迷期を乗り越えてミシャ監督の安定期につながるという、波瀾万丈の時代だった。僕の人生も色濃く塗られている期間であり、彼によって何度も幸せな気持ちにしてもらった。

 中でもこの2枚の写真を撮れたことは、生涯の思い出になる喜びだ。

 

 ありがとう、達也。

 あなたの次のキャリアで、また出会えるだろうか。

 

(文:清尾 淳)