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Weps うち明け話 #1127

3月6日の記憶(2022年3月7日)

 

 今年のカレンダーは、2011年と同じだ、という話を昨日聞いた。

 3月6日が日曜日というだけなら、2016年もそうだったが、2016年はうるう年だったから、1月と2月は曜日が1日ずれていて、3月になってから同じになった。365日の日付と曜日が全部今年と同じ年を探すと、2011年までさかのぼることになる。ちなみに次は2033年だから11年周期なのかと思ったが、その次は2039年だからそうでもないようだ。

 

 2011年3月6日にも試合があった。Jリーグ開幕戦で、浦和レッズはアウェイのホームズスタジアム(現在のノエビアスタジアム)でヴィッセル神戸と対戦し、0-1で敗れた。ゼリコ・ペトロヴィッチ監督の公式戦初戦でもあり勝利で飾りたかったが、62分に2回目の警告で鈴木啓太が退場になり、76分に決勝点を奪われた。

 2011年の3月と言えば、その5日後に発生した東日本大震災と、その後の混乱に記憶が寄ってしまって、この開幕戦の印象は薄れている人が多いだろう。しかし僕は、退場になった啓太が気の毒で忘れられないのだ。2枚目の警告になったプレーも気の毒だったが、そのことではない。

 

 通常ならば、啓太は3月12日(土)の第2節ガンバ大阪戦が出場停止で、16日(水)のナビスコカップ清水戦や第3節のアウェイ山形戦(3月19日)には出られたはずだ。キャプテンでもあり、戦力的にも欠かせない選手だったった。

 開幕戦の翌7日がオフだったかどうかは記憶にないが、G大阪戦に向けた練習で、啓太は紅白戦の際、Bチームすなわち先発を見込まれる選手ではない方のチームにいた。メンバーはときどき入れ替わるが、啓太だけはAチームに入ることがなかった。絶対に啓太の先発はないのだから、仕方がない。それも長くて5日間の我慢だと思っていたのだが…。

 

 震災によってJリーグの日程が大幅に変更され、Jリーグは約1か月半中断した。レッズの再開は4月24日(日)、ホームの名古屋グランパス戦になった。

「次節」の開催が延びたことで、啓太のBチームでのプレーも約1か月半続くことになった。毎日大原に行っていたわけでないので断言できないが、紅白戦で啓太がAチームに入ることはほとんどなかったのではないか。

 

 そして4月24日が来て、レッズは名古屋戦に3-0で快勝した。

 29日のベガルタ仙台戦は出場停止明けとなる啓太だった。しかし啓太がBチームで練習している間に、山田暢久と柏木陽介の2ボランチ態勢が定まっていた。啓太は仙台戦からメンバー入りしたが、3試合出場はなく、復帰したのは5月15日(日)のセレッソ大阪戦だった。チームは仙台戦から3連敗していたが、このC大阪戦からは5連続ドローだった。

 めぐり合わせが悪かったとしか言えないが、Bチームで練習していた啓太の心情を思うと今でも切なくなる。それで、あの3月6日も記憶から抜けきらないのだと思う。

 

 今年の3月6日は、1分け3敗という状況で迎えた。「内容は良いが、結果がついてこない」と言われていた。しかも相手は昨季公式戦3分け1敗と勝てなかった湘南ベルマーレ。選手もリカルド監督も「やりにくい相手」と語っていた。

 その湘南を相手に2-0の完封で今季Jリーグ初勝利。湘南の持ち味である走力や球際の強さ、闘争心においても昨日は負けていなかった。内容的には川崎戦やG大阪戦、途中までの神戸戦の方が上だったかもしれない。しかし同じ相手との昨年対比で考えれば、成長を示すものと言っても間違いではないのではないか(湘南が昨季より落ちているのかどうかはともかく)。

 

 1試合だけではなく、続くサガン鳥栖とジュビロ磐田に勝てば「内容も結果も良くなった」と言えるだろう。

 それでもようやく勝敗数が並ぶだけ。今季の目標達成のためのラップタイムはまだ足りないが、坂道の勾配がさらにきつくなることは阻んだ。ここから力を合わせて押し上げたい。

 

 浦和レッズ30年を機に、こんなプロジェクトを始めました。
良かったら投稿してください。今回の3月6日に関しても書いています。

 https://note.com/saywhoand/m/m36ae4b807372

 

(文:清尾 淳)