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Weps うち明け話 #1167

何度でも強調しておきたいこと(2023年4月27日)

 

 歴史的事実というのは本来変わらないはず。

 だが解釈はいろいろある。ときに、解釈の違い、という名目で歪曲されることもある。国家間の争いの歴史などはその最たるもので、科学者でも自国に有利な説に寄ってしまい、そのため国民はそれぞれの国による教育を受けて育つことになり、それが常識になっていく。長い年月を経た後に政府同士が歩み寄ろうとしても、国民の世論がそれを許さないということになる。

 

 多国間の関係ではそういう難しいことになってしまう場合も少なくないが、一国の中で、しかも歴史的検証が難しいほど古い事例でなければ、あまりその心配はない。それでも10年、20年ぐらいの単位でしっかり主張し直さないと、評価が変わってしまうかもしれない。社会の主流となる人間は20年、30年くらいで入れ替わっていくからだ。

 

 日本においてACLという大会は、2007年に浦和レッズが決勝に進出したことで、主にサッカー界で大きく注目された。そして日本勢として初めて優勝を果たしたことで、その注目が一般にも広がった。さらにアジア代表としてFIFAクラブワールドカップに出場し、3位になったこと、というより準決勝でACミランと対戦したことで、注目度が増し、他のJクラブの認識が大きく変わった。

 翌2008年、ガンバ大阪の優勝、FCWC3位(準決勝でマンチェスター・ユナイテッドと対戦)で、さらにACLの知名度アップと各クラブでのプライオリティー向上が決定的になった。特に2009年からACLの大会方式が見直され、勝利のたびに賞金が出るようになったことと合わせ、日本の枠が4になったことで出場へのハードルが少し下がり「ACL出場=リーグ3位以上」という目標を掲げるクラブが増えていった。

 

 だが、ACLは本気で獲りにいかないと勝てるものではない。

 また2009年からの見直しでACLの重要度が増したのは日本だけではなく、アジア各国も同様だったので、大会のレベルも上がった。特に中国は、サッカーの強化と近代化が国策のようになっていたはずで、資金が豊富なクラブは一気に強化を図りACLを席巻していったと言ってもいいだろう。

 日本勢は、出場枠が倍になり、優勝を目標にするクラブが増えたにも関わらず、2009年以降、ACL決勝の舞台に立つクラブはなかった。

 

 ひときわ高くなった山頂にたどり着いた日本のクラブは、またも浦和レッズだった。

 2013年に5年ぶりの出場を果たしたときには、グループステージで敗れた。2015年の出場でもグループステージ敗退。しかし2016年はラウンド16まで進みPK戦で涙を飲んだ。

 そして2017年、アウェイで負けずホームでは必ず勝つ、という戦いぶりを見せ、2度目の優勝を果たした。ノックアウトステージに入ってからは、アウェイの第1戦で2点のビハインドを負いながらホームで逆転勝ちするという、劇的なラウンド16と準々決勝もあった。

 その翌年、鹿島アントラーズが初優勝。レッズは、前年優勝しながら自らの国内成績により2018年にはACLに出場できないという悲哀を味わった。

 さらに2019年に3度目の決勝進出を果たしたレッズだが、2年前と同じ相手アル・ヒラルに第1戦、第2戦とも完封負けした。

 

 内田篤人さんが、DAZNの番組の中でACLについて「最初は『いや、結構遠いですよね』『韓国遠征きついですよね』『Jリーグの真っ只中なのに』という声があり、ACLの価値がそんなに高くなかった」と語っている。

 それは、たとえば2005年のACLに出場した横浜F・マリノスとジュビロ磐田が、日産スタジアムやエコパスタジアムではなく、三ツ沢球技場とヤマハスタジアムを使用したことにも表れていたと思う。それぞれの内情を知らないので断言してはいけないが、クラブもサポーターもACLにそれぐらいの価値しか見出していなかったのかもしれない。またJリーグや日本サッカー協会のサポートも大きくなかったということも考えられる。

 

 しかし、内田さんがJリーガ—になった2006年と2007年は、所属した鹿島がACLに出場していないから、ほぼ他人事のようにとらえて、上記のように感じていたのかもしれないが、鹿島は2007年から2009年までJリーグ三連覇という偉業を達成している。当然ながらACLには2008年から2010年まではJリーグチャンピオンとして、2011年には天皇杯覇者として出場している。鹿島は2000年には国内三冠も果たしているし、Jリーグで3年連続優勝したら、もう日本でやることはやり尽くした。アジアと世界に向かおう、というのが当然の姿勢だと思う。

 しかし、そういう時期でも鹿島にとってACLは「遠征遠いし、きつい。Jリーグの最中にやりたくない」大会だったのだろうか。

 若い人がこの発言を聞いて、「内田篤人が鹿島にいたころは、ACLって大したことのない大会だったんだな」と思ってしまうのが嫌だ。

 もしかしたら鹿島にとってはそうだったかもしれないけど、日本全国で言えば2007年のレッズ、2008年のガンバの優勝で注目度とステータスが大きくアップした大会。それがAFCチャンピオンズリーグだ。

 

 そして2017年に日本勢9年ぶりの優勝でACLへの注目度を再燃させたのもレッズだ。翌年、鹿島が制覇をして、川崎フロンターレやヴィッセル神戸が本気度をさらに増したと思う。

 10年周期で、日本勢連続優勝があり、話題が沸騰するACLだが、2回とも道を切り拓いたのは浦和レッズだし、他クラブがサポーターを含めて「遠い、きつい、リーグと並行してやりたくない」と思っていた時代から、本気で出場を目指していたのもレッズだった。

 

 浦和レッズ4度目のACL決勝にあたり、以上のことを強調しておきたい。

 

 自分褒め?

 そう受け取られるだろうな。事実を述べているだけだけど。

EXTRA

 レッズサポーターは1993年のJリーグ初年度から世界を目指していた。証拠を挙げろと言われたら、当時から「浦和レッドダイヤモンズ、世界に輝け!レッズ!」と歌っていたということぐらいしかないのだが、そもそもサッカーは国際サッカー連盟という一つの競技団体がすべての国のサッカー協会を通じて、すべてのクラブを傘下に収めていて、理論上は街のクラブでも登録していれば、道はつながっていて世界一になれる可能性がある。だからJリーグや天皇杯で優勝するだけでなく、その次のアジアを経て世界の頂点に立つことが目標になる。サッカーをやるならそれが当然でしょ、という薫陶を僕は初期のレッズサポーターから受けた。

それが、たとえばnoteに書いた、このビジュアルサポートにもつながる。

https://note.com/saywhoand/n/n39e0a9658bd4

 

(文:清尾 淳)