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Weps うち明け話 #1173

30年前の7月16日に完成した(2023年7月18日)

 

 曜日を勘違いしていて、更新のタイミングがずれてしまった。日付ものなので、過ぎてから出すのは間が抜けているけど、おそらく日本でこのことを自覚していた人は数人しかいないだろうから、やはり書いておこう。

 

 今年はJリーグ30周年に絡んで、いろいろなものが30周年を迎える。

 さて、おととい7月16日に完成30周年を迎えた、浦和レッズに関連する施設、と言えば何でしょう。

 

 もったいぶることはない。それは大原サッカー場だ。

 

 浦和市をホームタウンとしてJリーグ初期の10クラブ、いわゆる「オリジナル10」として参入が認められ、1992年の3月10日に設立された浦和レッズだが、前身はそれまで東京を拠点として活動していた三菱自動車サッカー部だから、浦和での拠点づくりをゼロからスタートさせなければならなかった。

 

 たとえばクラブの事務所、練習場所、独身選手のための寮などだ。

 このうち、クラブの事務所は1992年の12月、浦和市(当時)仲町に借りたビルに入居して拠点ができた。

 年が明けると、家族持ちの選手は、浦和市内にそれぞれマンションなどを借りて住み始め、独身選手はクラブが借り上げた浦和市内のホテルに住んでいた。

 練習場所は、1992年いっぱいは三菱サッカー部が使っていた東京・調布のグラウンドをそのままずっと利用していたが、1993年に入ってからは荒川河川敷の公営グラウンドや東京農業大学のグラウンドを使うようになった。ただし、芝生のピッチはあるが、クラブハウスやシャワーなどの設備はなく、マッサージなどもホテルに戻って受けるしかなかったから、決して便利・快適とは言えなかったはずだ。

 

 クラブも決して手をこまねいていたわけではなく、浦和をホームタウンに定めたときから練習場所の確保に奔走していた。それが現在の大原サッカー競技場で、1991年ごろはまだ草っ原というか、葦(アシ)の原っぱだったように記憶している。当時ほとんど使われていない浦和市の土地を三菱が整備して練習場にする、という話を聞いていた。

 それが完成し、使用が開始されたのが30年前の7月16日だった。

 

 市の土地をレッズが整備して、市に寄贈した形だったから所有者は浦和市で、建物は「クラブハウス」ではなく「管理棟」という名称だったし、何回か少年サッカーの大会も行われたと記憶しているが、とにかく浦和レッズの専用練習場ができたことは間違いない。

 

 先述したようなレッズの練習環境が、チームの成績に好影響を及ぼすはずはなく、クラブがそれを成績不振の要因としていた記憶はないが、少なくとも環境の一つは大きく改善されたわけだから、2ndステージでの巻き返しを僕は期待して止まなかった。

 巻き返しを「優勝」で判断するのなら、残念ながらそれはすぐには実現せず、大原サッカー競技場が完成してから10年と4カ月ほどかかったことになる。

 

 当時、基礎工事をしてはいけない場所だった大原に建てられた「管理棟」はプレハブ式で、付けられる設備には限界があった。

 かつて、獲得を前提で来日した外国籍選手が、クラブハウスを見て契約せずに帰ったという逸話が有名になっているほどだ。

 だが、間違いなく浦和レッズの歴史に刻まれる出来事の一つ、大原サッカー競技場の完成が1993年7月16日だったことは記録しておきたい。

 

クラブハウス

このクラブハウスに約11年半お世話になった

 

(文:清尾 淳)