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Weps うち明け話 #1185
必死の400試合(2023年12月25日)
ようやく柏木陽介のことを落ち着いて書けるようになった。
12月5日に行われた引退会見はYouTubeにアップされている。
僕が質問した、2011年の残留争いについての陽介の心情や、福岡戦のゴールについては、直接彼の言葉で聞いてほしい。32分ごろから質問が始まると思う。
広島の柏木陽介が浦和レッズに来ると聞いたのは、2009シーズンが終わってしばらくした12月の中頃だった。
その年から指揮を執ったフォルカー・フィンケ監督のサッカーを突き詰めるのに世代交代を考えれば、ロブソン・ポンテに代わる、ゲームメイクに重心を置いた攻撃的MFが必要になるということかもしれない。
広島で10番を付けているレギュラーで、茶髪のイケメン。他クラブの選手に疎かった僕は、それぐらいのイメージしかなかった。「チャラ夫」という情報も入ってきたが、それは自分の目で見るまで決めつけるのはやめようと思っていた。
1月9日の加入記者会見を「見る」限りは少しチャラかった。しかし言葉を「聞く」限りはチャラくはなかった。内面と外見にギャップがありそうだった。
内面を見た気がしたのは公式戦レッズデビューとなった2010年Jリーグ開幕、アウェイの鹿島戦だった。相手と戦っているときの陽介に「チャラさ」などは一切なかった。なりふり構わない格好良さがあったし、必死さが表情からうかがえた。おまけに髪もだいぶ黒くなっていた。
その試合を見たときから、陽介に「チャラい」という修飾語は不要になった。
もっとも、大原で練習が終わってからは「オフ」になっていき、帰るころは完全にオフに切り替わっていたようだが。
レッズ加入後の2年間、陽介はあまり楽しくはなかったのではないだろうか。2010年のサッカーは、彼の特性が生きる部分も多かったと思うが、結果が伴わない試合も少なくなかった。そして2011年は残留争いに明け暮れたのだから。
会見で質問した2011年第33節のアウェイ福岡戦だが、先制されて陽介のゴールで追いつき、1-1で迎えた後半、相手が1人退場となりPKを得るという好機に、マルシオ・リシャルデスがゴール右に沈めたPKがやり直しになった。マルシオが蹴る前にレッズの選手がエリア内に入ったらしい。マルシオがプレッシャーのかかるやり直しPKも決めてホッと胸をなで下ろしたのだが、そのときフライングした選手はどうも陽介らしかった。
このPKが決まって2-1になれば、相手が一人少ないこともあって、だいぶ勝利は近づく。逆に外して1-1のままになると、ホーム最終戦で負けたくない福岡は守備を固めてドローを狙ってくるかもしれない。絶対に外せない。コンマ何秒か早く足が出てしまったのは、そういう思いからだろう。本人に確認したわけではないのだが。
記者会見で「大事なところでゴールを決められない」などと言っていたが、僕にはそんなイメージはなく、それよりも周りにゴールを決めさせる選手だという信頼は確実にあった。
たしかカレンダーにもなった、興梠慎三のレッズ加入初ゴールのアシストもそうだし、2016ルヴァンカップ決勝で李忠成の同点ゴールとなったCKもそうだ。
レッズ在籍11シーズンの間に、決めたゴール、決めさせたアシストは数多くある。数字に残らないプレーで記憶に刻まれているのは、味方の士気が上がらなかったり何かピリッとしなかったりしたとき、猛ダッシュで相手にプレスを掛け、ときには警告覚悟で激しく当たることがあった。自分が全力で走って味方の奮起を促す意識が強かった。記者会見で引退後の感想を聞かれて「もう走らなくていいんだ」と語ったとき、陽介のオバちゃん走りがもう見られないのが残念に思えた。
思えば、陽介は2010年のレッズデビュー以来、試合では常に必死の表情を見せてきた。レッズでのJ1リーグ出場は311試合となり、他の公式戦を含めると400試合を超える。
レッズに11シーズン在籍した選手、それもリーグ戦で300試合以上出場した選手は数えるほどしかない。阿部勇樹、鈴木啓太、平川忠亮、山田暢久、そして柏木陽介の5人だけのはずだ。
それを考えると、本人の行動に起因するものだとはいえ、レッズのファンやサポーターが陽介ときちんとしたお別れをしていないのが残念でならない。
いつか、その機会が作れたらいいと思う。
そして公式戦のピッチ以外で必死になる柏木陽介を見たい。
2023年12月5日に行われた引退記者会見
レッズ加入記者会見(2010年1月9日)
レッズデビューはアウェイの鹿島戦(2010年3月6日)

2011年Jリーグ第33節・福岡戦で同点ゴールを決める(11月26日)

2011年Jリーグ最終節・柏戦、優勝を目指す相手に一矢報いたのは柏木(12月3日)
(文:清尾 淳)