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Weps うち明け話 #1208

ハジ(2024年11月13日)

 

 細貝萌の口から「慎三」「森脇」という名前が呼び捨てで出たことに「えっ」と思った。

 

 僕が細貝を間近で見ていたのは2005年から2010年までの6年間。彼が浦和レッズを離れたのは24歳の時だ。

 前橋育英高校からレッズに加入したのは、チームに大物選手がそろい始めたころで、翌年、翌々年とさらに補強を進め、先発にはもちろん、ベンチ、時にはベンチ外にも日本代表経験者が居並ぶという時期だった。

 そんなこともあり、僕の中での細貝萌のイメージは、若手。あるいは若大将という感じで止まっていた。

 

 一方、興梠慎三や森脇良太といったミシャ監督時代に加入した選手たちは、2013年にレッズに来たときから百戦錬磨、といった強者(つわもの)のイメージが強く、だんだん経験豊富なベテランの風格をつけていった。

 

 細貝がレッズを出てから興梠らが入るまで2年しか空いていないのだが、同時期に見ることがなかったので、3人が同い年ということに思い至らなかったのだ。

 

 冒頭の僕の心情は、1112日、ザスパクサツ群馬のクラブハウスで行われた細貝の引退会見で、「同年代の選手たちも引退を発表しているが」という質問に本人が答えたときのものだ。

 柏木陽介の引退会見のときもそうだったが、地元のメディアがいっぱいの中で少数の浦和系のメディアが同席するのは肩身が狭い。だが、せっかく案内をいただいたのだし、いまちょうど細貝に尋ねたいことがあったので、お邪魔した。

 

 僕が質問したのは「細貝さんが新人だった05年はほとんど、06年もあまり多くの出場がなかったが、そういう時期に何を考え、どういうことを支えにしてがんばってきたのか」ということ。そして「レッズに限らず、若手を中心としてなかなかチームで出場機会がない選手たちに何かひと言」というお願いだった。

 

 細貝は「2005年に浦和レッズに加入させていただいて、なかなか試合に絡むことができませんでした。その中で、やはり環境が素晴らしかったこと、素晴らしい先輩方がいたこと。その先輩方と一緒に毎日プレーできたことで、何よりも成長できました。前橋育英高校を卒業するときに、『浦和レッズには行かない方がいい』という助言もたくさんありました。それは、『浦和レッズというのは、ビッグクラブで代表選手も五輪代表選手もいっぱいいる。試合に出ることを考えたら、他のクラブに行ったほうがいい』という意見でした。でも僕自身は、たくさんの方の前でプレーしたかった気持ちと、試合に出ることよりも、たくさんの素晴らしい先輩方の中でプロサッカー選手のスタートを切れる、ということ。そのためにレッズに行ったので、その環境の中でプレーできたことに対して感謝しています。それがこの20年を作ってくれたのは間違いないので」と答えた。

 

 若手に対しては「やはり厳しいときもあると思います。その中でも、自分がどうあるべきか。どうなりたいか。自分はどの先輩を見て成長していくか。そこを考えていけば、自ずと結果は出るんじゃないかと思います」ということだった。

 

 そして別の質問で、細貝がレッズ時代に背中を見ていた先輩選手は鈴木啓太だったと述べた。

 なるほど。試合に出る、という目標は、答えが見つかりにくいこともある。だが、先輩選手を見て、真似る、盗む、越える、というのは日々の練習の中でできることだし、答えもその中で出る。もちろん満点の答えは容易に出せないだろうが。

 

 今のレッズは、細貝がいたときとはだいぶ様相が違うが、それでも目標にしたい選手はいるはずだ。特に、あと2か月足らずしか一緒にできない素晴らしい選手がいるのだから、毎日居残りで自主練習に付き合わせるぐらいのことはしてもいいはずだ。吸収し尽くしても減るものではないし、本来それが望むところのはずだ。興梠慎三の。

 

 約45分間の引退会見とセレモニー、約40分間の社長代行兼GM就任記者会見だった。

 もう、そこには「王子スマイル」の「若大将」はいなかった。J3からJ2昇格。そしてJ1昇格からさらにその上を目指すクラブの代表、細貝萌がいた。

 

 でも、会ったら「ハジ」と呼んでしまうだろうな。がんばってほしい。

 

(文:清尾 淳)