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Weps うち明け話 #1215

載せられなかったインタビュー(2024年12月24日)

 

 

2020年と言えば、新型コロナウィルス感染が拡大し始めた年。その後3年間、人々の生活は大きな変化を余儀なくされ、現在も影響がなくなったわけではない。

 コロナ禍での変化のうち、たとえば「在宅勤務」が勤務形態の一つとして普通に考えられるようになったことや、移動を必要としないオンライン会議という方式が特別なものでなくなったことなど、「改善」と言えるものもあった。

 しかし、コロナ禍によるマイナス面の方がはるかに多く、取り返しのつかない不幸もあったし、今も回復できていないダメージもたくさんある。

 

 そして2020年は浦和レッズに武田英寿が加入した年だ。

 全国中学校サッカー大会で青森山田中学校が2014年から4連覇した時期、1年生だった2014年大会のときから優勝に関わり、2年生、3年生のときは優勝の中心メンバーだった。「3年生のときは、"優勝して当たり前"のような雰囲気だったので、緊張した」と語っているが、「優勝して当たり前」と周りから言われるときに実際に優勝するというのは、簡単ではないと思う。

 

 しかし、それは後から、というか今年本人から聞いた話。僕が武田のプレーを初めて見たのは、レッズ加入が決まっていた2019年の1215日。埼スタで行われた、高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグファイナルだ。

 当時は浦和レッズユースもプレミアリーグイーストに属しており、ファイナルが埼スタで行われるのに、レッズユースがイーストでなかなか優勝できないのを残念に思っていた。来季2025年はプレミアリーグで戦うレッズユース。「埼スタへ行こう」を合言葉に頑張って欲しい。

 話がずれたが、このときだけはファイナルが埼スタで行われて良かった、と思った。武田が出るからと言って、ヤンマーや豊スタだったら見に行くことはなかっただろう。

 高校選手権でも、青森山田高の試合はNACK5や駒場、埼スタが多く、まるでレッズサポーターに配慮してくれたようだった。等々力には行かなかったが。

 

 考えたら、この201912月から2020年の1月にかけての3週間で、武田のプレーを一番たくさん見た、いや魅せられた気がする。

 もちろんレッズに入ってからのほうが、延べ時間でははるかに長いのだが、武田が中心になってチームを動かしていた高校時代とは内容的に比べようもなかった。

 

 2020年の沖縄キャンプは長かった。29日まで27日間というのは、一度のキャンプとしては異例の長さだったし、たぶんこれからもないのではないか。そしてシーズン開幕は216日。ルヴァンカップでの開幕だったが、なんと浦和に帰って1週間しかない。

 こりゃあ、キャンプ中にいろいろと準備しておかないと、大変だ。

 そう思ったので、開幕からMDPの何号かの原稿をキャンプ中に作ることにした。

 

 その準備の一つが武田のインタビューだった。期待の高卒新人だが、公式戦デビューはいつになるかわからない。出場にかかわりなく、早い時期に紹介しておきたかったので、公式戦3試合目、ホーム2試合目に予定されていた226()のルヴァンカップ松本戦に掲載するつもりだった。

 当然、高校時代のこと、浦和レッズのイメージとキャンプに参加しての印象、自分のプレーについてなどが中心となった。内容的にも新人を紹介するものとしてピッタリのものになったと思っている。そして、とっておきの写真、青森山田高が高円宮杯プレミアリーグファイナルで優勝した日、武田が埼スタでカップを持っている写真も載せる予定だった。最高の趣向を凝らした写真だと自負している。

 

 その226日から、Jリーグは全ての公式戦を無期延期し、実際には7月から再開された。ルヴァンカップは極端に短縮された。MDPは「感染を媒介する恐れがある」として再開後も発行されず、WEBサイトで3項目だけを掲載するようになった。

 あの武田のインタビューも、いわゆる「お蔵入り」になった。期限付き移籍から戻ってきた今季、どこかのタイミングで武田のインタビューを行い、その際に「2020年の開幕前はこんなふうに言っていたが」と話を向ける機会があると思っていたが、ページが少なくなったMDPでは毎回選手のインタビューを載せる余裕がなかった。

 

 来季かな。来季こそ、レッズの中心選手としてやってくれるはず。そのときのほうが新人時代とのギャップが興味深いかも。

 そう思って僕は最終節のMDPを作っていた。

 

 選手の所属は、クラブの方針、ファン・サポーターの希望だけでは決まらない。もちろん一介のMDPライターの願望など役に立たない。

 他のクラブがその選手を必要とし、納得する十分な条件を提示してきたら、たとえ元のクラブが契約更新をオファーしても、判断は選手本人に委ねられる。

 武田が望んでレッズを離れたいはずはない。レッズも武田を手放したいはずもない。しかしプロ選手にとって、試合出場という指標は年々、重くなる。プロ6年目を迎える武田も、そこは大きな分水嶺だっただろう。レッズに残って来季出場数が大きく増えるという保障はどこにもない。自分の生まれ故郷のクラブからオファーが来たら、そちらを選択するのは、難しい決断であったとしても、あり得るものだと思う。

 

 期限付き移籍の間は、いつかあのインタビューのさわりだけでも紹介する機会があると思っていたが、とりあえずそれは諦めよう。

 いつか、またレッズに移籍してくれることがあるかもしれない。それこそ、レッズが「三顧の礼」でお願いをするような選手になっている可能性も少なくないと思っている。その際に、まだ僕がMDPをやっていれば、違う「武田英寿」のインタビューができるかもしれない。

 

 プロのキャリアをスタートするのに浦和レッズを選んでくれた。そしてプロの一歩を踏み出す直前の決意をMDPのインタビューで聞かせてくれた。

 そのことへの感謝は忘れない。

 期限付き移籍中も、武田の出場や活躍は気にしていたが、来季からもベガルタ仙台の成績は気になるだろう。もちろん武田が中心で出ているに違いないから。

 頑張ってください。

 

(文:清尾 淳)