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Weps うち明け話 #1230

得るべきものは「対戦」ではなく(2025年6月20日)

 

 1997年7月22日、浦和レッズは駒場スタジアムにマンチェスター・ユナイテッドを迎えてプレシーズンマッチを行った。マンUがイングランドプレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグのトリプルを達成する前年ではあったが、世界の強豪かつ人気クラブとして知られた相手で、17,642人が観戦した。

 

 試合の後だったと思うが、某クラブスタッフが「マンチェスターのクラブ両方と試合をしたのは日本で浦和レッズだけだ」とやや誇らしげに語っていたのを思い出す。

 当時のマンチェスター・シティは、今のような強さはなく、日本ではマンチェスターのユナイテッド「じゃないほう」という言われ方がされていたかもしれない。

 某スタッフは、Jリーグ開幕前の1993年4月24日にマンCと駒場でプレシーズンマッチを行ったことを言っていた。たしか同じプレミアリーグ(当時)のシェフィールド・ウェンズディを招聘していたのだが、カップ戦で勝ち上がっていたためスケジュールが合わず、急きょ対戦相手がマンCに変更になったはずで、そうでなければ某スタッフが自慢することはなかった。僕は「シェフィールドが来られなくて良かったね」と返したような記憶がある。

 

 当時はユナイテッドだろうがシティだろうが、イングランドプレミアリーグのクラブと公式戦で当たることなど考えていなかったから、そんな会話も普通にできた。

 その後もレッズは国際親善試合を行い、公式戦ではないが浦和市民とファン・サポーターに世界のサッカークラブを紹介し続けた。もしかしたらアメリカのクラブと日本で対戦したのはレッズが最初だったかもしれない。2001225日の駒場で、相手はロサンゼルス・ギャラクシー。正直、当時の僕は知らなかったが、レッズがJ2からJ1へ復帰したシーズン、最初の対外試合だったので、よく覚えている。現在では吉田麻也選手が在籍しているアメリカの強豪クラブとして知られている。昨年末に行われたMSLカップ優勝クラブなのに今回のFCWCに出場できないことでも一部話題になった。

 

 話がそれた。

 2003年から「さいたまシティカップ」が設けられ、6月~7月には毎年ヨーロッパの名だたる強豪クラブが埼スタに襲来した。

 と同時に、レッズはリーグ優勝に肉薄し始めた。2003年は2ndステージ終盤で首位に立ちながら優勝できず、2004年は2ndステージを制したがチャンピオンシップで惜敗。2005年は最終節まで優勝の可能性を残したが2位だった。

 あと一歩で優勝、イコールそれまで“心の目標”だったアジアの大会が現実に感じられるようになってきた。僕が「マンUとの親善試合より、アジアのクラブとの公式戦が見たい」と、このコラム(♯329)に書いて、クラブから睨まれたのがこの頃だった。

 

 当時の心境を言えば、できれば中断期間は選手に休んで欲しい。しかし、世界の強豪とやることで選手たちのモチベーションが上がり、プレーなどで得るものがあればそれも良い。試合だから勝って欲しいが、勝っても負けても“次”に影響はない。相手にとっては大相撲の巡業みたいなものでしょ。そんな感じだった。

 グッズなどに両クラブのエンブレムが入ったものが増えていく。つまり、ある意味「対戦した」という事実だけが残り、勝った達成感や負けた悔しさはあまり記憶にない。

 

 その、さいたまシティカップで2度目に対戦したのがインテルだった。2004727日、平日の埼スタに58,000人が詰めかけた。

 それから3年経った20071213日、レッズは横浜国際総合競技場(日産スタジアム)ACミランと対戦した。かつて僕に「マンチェスターの両クラブと」と語った某クラブスタッフはJリーグに職場を移していたが、もし在籍していても「ミラノダービーの両クラブと」とは言わなかっただろう。インテルと戦ったのは親善試合、ミランとの一戦はFIFAクラブワールドカップ準決勝。簡単に「両方とやったよ」とは言えない。

 同じように20231219日、レッズはFCWCの準決勝でマンチェスター・シティと対戦したが、そのとき「マンチェスターダービーの両クラブと対戦した」ことを誇るレッズサポーターはいなかっただろう。

 

 そして今年、2025年。日本時間の6月22日、インテルとの公式戦を迎える。

 かつて親善試合でしか、そういうクラブと試合ができなかった時代を思えば感無量にもなるが、戦ったことで満足する気はない。次のステージに進むためには絶対に負けられない試合だ。18日のリーベル戦は、先発メンバーに世界のトップトップとの試合が初めてだった選手が多く、うまく対応できない時間が長かったように思う。だが4日後に行われる2試合目は、相手が違えどしっかり対応できる。そういう部分でレッズは優れているはずだ。

 

 2004年のシティカップでは1-0でレッズがインテルに勝っているが、もちろん選手は誰も残っていない。「ミラン戦の仇をインテル戦で討て」という日本的なエールも現実的ではない。これでレッズはミラノの両雄と真剣勝負を戦ったクラブとなり、それは歴史に残ることかもしれないが、それさえも今は関係ない。

 

 願うのは2025年の浦和レッズがFCWCでインテルに勝つこと。それだけだ。

 

(文:清尾 淳)