Weps うち明け話 文:清尾 淳

#377(通算#742)

浦和駅

 初夏に近い陽気になったかと思うと真冬の寒さに戻ったりする毎日。三寒四温とはよく言ったものだ。

 しかし季節は間違いなく春だ。

 日本では年度の切り替えがほとんどこの時期だから、進学、就職のシーズンでもあり、春の陽気と共に人生の節目となった日々を思い出すことが多い。

 春になると僕は、浦和に来た頃のことが思い出される。

 1981年2月に僕は大学時代住んでいた世田谷から浦和に引っ越し、3月23日から埼玉新聞社に勤め始めた。そのころの埼玉新聞社は定期採用をしていなかったから、新卒採用とはいえ4月1日入社とは決まっていなかった。「来られるときから来い」と言われたので、じゃあ転居して落ち着いたころ、ということでその日になった。

 

 そのころの浦和は、まだ駅の西口に伊勢丹とコルソがなかった。正しくは建設中だった。伊勢丹浦和店とコルソのオープンは1981年の4月15日だったはずだ。伊勢丹関係者でも覚えていないかもしれない、その日を記憶しているのは、僕が埼玉新聞社に勤めて最初の仕事が、そのオープン記念特集広告の営業だったからだ。

 だから僕にとっての「浦和元年」から、浦和駅西口には伊勢丹とコルソがあったのだ。ある風景が当たり前だった。

 と同時に、浦和駅の東口と西口は行き来できないのが当たり前だった。また高崎線、東北線(宇都宮線)の中距離列車も停車しないのが当たり前だった。

 不便だったが、それが日常なのだから仕方がない。会社帰りに東口に飲みに行くときは、回り道をするか入場券を買うかしていたし、都内から帰ってくるときに、1分を争うときは上野から列車に乗って赤羽で京浜東北線に乗り換えることもあったが、今のように一瞬で検索できる時代ではないから、逆に遅くなることもあった。

 

 中距離列車は翌1982年に浦和駅全面停車が実現して、だいぶ便利になった。東京や羽田に行くときは、上野まで列車で行った方が確実に何分か早くなった。

 駅の東西の行き来は相変わらずできなかったが、それも2011年の8月に可能になった。毎日電車に乗るわけではない僕にとって、ある日いつの間にかホームの階段を降りたら景色が変わっていた、という感じだった。昔を思えば、ずいぶんと楽になった。

 

 自分に都合良く考える僕は、「俺が浦和に住むようになったのを記念して、伊勢丹とコルソができたんだぜ」と言っているし、「俺が浦和に住み始めて、不便さを感じたから、中距離列車が翌年から停まるようになったんだ」と言っている。ついでに言うと、僕が1957年3月31日に「オギャー」と生まれた場所は、石川県江沼郡塩屋村だったが、清尾淳の出生地が「村」ではいかがなものかということになって、翌1958年1月1日に近隣と合併して石川県加賀市塩屋町となったのだ。

 自分に都合の良い妄想を抱いても、考えているだけならバチは当たらないだろう。

 

 そして2013年3月16日。浦和駅の東西をつなぐ通路が25mに拡幅され、湘南新宿ラインが浦和駅に停車するようになる。

 これは何を記念して実現するのだろう? 俺の浦和降臨(殴)32年か?

 いや、おそらくJリーグの21シーズン目を記念してじゃないか?

 いやいや、浦和レッズの第二の黄金期のスタートを記念してだろう。うん、そう思うことにする。

 今のところは祈念だが。

(2013年3月16日)

EXTRA 

 と言っても、明日の早朝の便で大分戦に行く僕は、初日に新浦和駅を堪能できないのだが。まあ初物を競って求める江戸っ子タイプではないのだ。

(2013年3月16日)

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