Weps うち明け話 文:清尾 淳

#401(通算#766)

メーンスイッチ

 今さらナンだけど、僕の生業(なりわい)はMDPの製作だ。
 他にも収入を得ている仕事はあるけれど、それらはすべてMDPがなければあり得ないもの。
 MDPを作っているからこのコラムも書かせてもらっているし、週に1回、NHKさいたまの番組に出させてもらっているのも、何度か本を書かせてもらっているのも、ときどきレッズに絡んだ原稿の依頼をいただくのも、すべて、MDPを作っているという立場、そこで得た知識やネットワーク、そして20年間やってきて多少は上がったスキル、それらがあるからやらせてもらっているものばかりだ。
 決して、清尾淳個人の力ではない。

 MDP製作の仕事はメリハリがある。毎日コツコツと準備しておいて、最後の1週間ぐらいに少し頑張ればできるというものではない。ホームの前10日から1週間とそれ以外の日とでは、首都高の交通量で言えば、五十日(ごとおび)と休日の朝くらいの違いがある。それで言うと12月の半ばから2月までは、元旦の首都高ぐらいだ。

 3月から12月のシーズン中もホームゲームの間が空くことがある。
 たとえば今年の3月12日、ACLムアントン戦から、4月3日のACL全北現代戦まで、アウェイのリーグ戦は2試合あったけど、ホームゲームはなかった。このときは、4月に5回あるホームゲームの準備をしていたから、ヒマではなかったけれど、それでもあくまで「準備」であり、製作そのものではなかった。
 この次は7月17日の横浜M戦(MDP434号)から8月3日の広島戦(435号)までの間が少し空く。そのときも18日から435号の準備はするが(いや、もう少しずつしている)、「製作」と僕が感じる業務内容になるのは、もう少し近づいてからだろう。
 忙しいときとそうでないときのメリハリがかなりあるから、20年間続けてこられたと思う。無理にでもメリハリをつけている感もある。

 今回の中断期間は、それらに比べるとだいぶ長い。5月29日の仙台戦(MDP430号)から6月30日のナビスコ杯C大阪戦(431号)まで、1か月以上間がある。
 北海道キャンプにも行ったし、レッズファミリーの試合にも取材に行った。MDP以外の仕事はしていたし、このコラムもできるだけ更新するようにしていた。だから身体は鈍っていないし、「取材勘」や「原稿勘」は維持できていたと思う。

 だが「MDP勘」は別なんだ、と先日しみじみ思った。
 何かというと、19日の水曜日に大原に行った後の気持ちが、それまでとだいぶ違ったのだ。
 大原でチームの練習を見、メディアの取材の様子を見、ミシャに挨拶し、大原のスタッフたちと話し…。そんな、ふだんの行動をしているうちに、MDP製作への意欲が高まってきた。
 自分でも意外だった。中断期間に休んでいたわけではないし、すでにMDP431号の製作にも入っていたから、もうふだんの自分に戻っていると思っていたのだが、「大原」を感じることで、実はまだスイッチがしっかり入っていなかったことがわかった。

 そういう意味でよくよく考えれば、MDP製作真っ盛りのときの自分は、ふだんとは違う自分になっているような気がする。トランス状態、と言ってもおかしくないかもしれない。
 さっき書いた「メリハリ」というのは、時間的に多忙かどうかだけではなく、違う自分になっているかどうかが一番のメリハリなんだろう。

 いま、久しぶりのホームゲームを10日後に控え、大原にも毎日行って、スイッチはもう入っているはずなのだが、実はまだ完全ではないのを感じている。
 本来それではいけないのかもしれないけど、スタンドを埋めるレッズサポーターの姿と声に触れたとき、スイッチはすべてONになるだろう。
 明後日、長居で会ったら「スイッチ入りましたか」と聞かれそうだな。  

(2013年6月21日)

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