Weps うち明け話 文:清尾 淳

#414(通算#779)

東京五輪

 ときどき書いてきたことだが、僕はオリンピック好きだ。
 終わってみるとそうでもなかったりするのだが、毎回オリンピックがあるたびにワクワクしていた。それは、やはり1964年の東京五輪が原点だろう。

 ただ、いま考えてみると、昭和39年(やはりここは“昭和”でないと感じが出ない)当時、石川県の田舎町に住んでいた小学2年生にとって、「東京」とは日本の首都であることは理解していても、テレビや漫画(そのころの漫画の場面はほとんどが東京だったはず)で見るだけの場所だった。
 いま同年代の友人に聞くと、小学生のころオリンピックを見に行ったという人が少なくない。そりゃ、浦和からなら行けただろう。でも50年前の石川県加賀市塩屋町から東京に行くというのは、いまで言うとACLのアウェイに行くよりも、ありえないことだったのだ。感覚的には。

 僕にオリンピック好きが刷り込まれたのは、日本でやったオリンピックだからではない。生まれて初めて味わったスポーツの国際大会だったからだ。4年前のローマ五輪のときは、まだ3歳だったからオリンピックが何かさえ理解できなかっただろうし、そのころはテレビ中継もなかっただろう。中継があってもテレビがなかったし。
 ちなみテレビが僕の家に来たのは、小学校に入る前後で、よく言われるように「東京五輪で日本の家庭にテレビが普及した」というところからは、少しずれている。たぶん、父親が野球の中継を見るのに買ったはずだ。

 それ以降、小学6年(メキシコ)、高校1年(ミュンヘン)…と、実家にいる間は家に帰ってオリンピックをテレビで見るのが楽しみでしょうがなかった。テレビが家になかった大学生のときに行われたモントリオール五輪の印象が薄いのは仕方ないだろう。
 そして大人になってから、つまり浦和に住み始めてからもオリンピックはテレビで見るものだった。だんだんテレビの国際中継も発達してきて、今は何の不自由もなく見られる。さらにビデオより便利なDVDレコーダーのおかげで、どの時間帯に行われる試合でも、情報をシャットアウトしていれば生中継と同じ感覚で見られる。

 だから、申し訳ないが今回も前回も「東京で(だいぶ前は名古屋だった)オリンピックを」という誘致活動があっても、まったく熱心ではなかった。
 というか、小学2年生当時は(オリンピックって4年に1回なのか。世界には100以上(当時)の国があるから、次に日本でやるのは400年ぐらいあとだな。俺は生きてないや)と思っていたのだ。全部の国で開催したら、また日本に戻ってくるのだと。
 恥ずかしい話、ずっとそう思っていて、名古屋五輪構想が持ち上がったとき、「え!まだ(東京五輪から)20年も経ってねえぞ!」とびっくりしたほどだ。
 だけど五輪開催地選びの時期になると「まだやったことのない国が優先だろ」と思ってしまうのは、おかしな感覚ではないはずだ。もちろん、いろいろな条件がクリアされていれば、の話だが。

 今度も何となく、イスタンブールでいいんじゃないの、と思っていた。猪瀬都知事に聞かれたら「今後、あいつに荒川を越えさせるな」と言われそうだが、東北の復興もメドが立っていないのに、という不安もあったし、サッカーで言うとアジア予選なしで本大会に出てもいいのか、という気持ちが強かった。
 で、今週の日曜日、朝起きたら、「2020東京五輪決定!」の話題一色だったというわけだ。

 国際大会で日本が活躍することで国民に勇気と希望を与える、というのは自国開催でなくてもできることだし、逆に“アウェイ”で勝つ方が価値があると思うので、その意見には賛同しないが、子どもたちにそういうイベントを生で見ることで何かを得て欲しいという考えにはうなずける。ただし、恩恵を受けるのは“見られる”子どもだけだ。日本中の小中学生が期間中、一度はオリンピックを見ることができるような措置を取る覚悟は政府や東京都にあるのだろうか。

 開催が決まってからも斜めに見ている僕だが、いま思っていること。
 五輪の開催というのは、それが可能な都市(国)に課せられた義務、ではないだろうか。
 施設、治安、気候、情報、交通網、ホスピタリティなど、オリンピックという大イベントを開催できる力のある都市(国)は、そう多くない。昔、僕が考えたみたいに世界中の国が開催できるわけではないのだ。
 もちろん昔の日本のように、五輪を国の発展の起爆剤にする、という考え方もあるだろうから、それも大事にして欲しいが、東京(日本)なら任せられる、とIOC委員の多くが断じたことは間違いないのだから、その期待には応えたい。
 そして、僕が誘致したわけではないけど、「あんなに誘致しておいて、駄目だったじゃないか」と日本が世界から思われるのは嫌だ。決まったなら渋々ではなく積極的に協力するしかない、という気になっている。

 なんて考えになるのも、僕が日本人である証拠かね。
EXTRA
 東京五輪に関連した話だが、国立競技場が来年から改修される。レッズにとって今度のFC東京戦が、今の国立競技場で行われる最後のJリーグだ。
 そして11月2日のナビスコ杯決勝も、来年の元日に行われる天皇杯の決勝も、あの思い出深い国立での開催は最後になる。F東京戦はもう決まっていることだが、ナビスコ杯決勝、天皇杯決勝への出場権はこれから勝ち取るべきもの。いつにも増して「行きたい場所」である。
 明日の天皇杯2回戦は、どうやら今季あまり試合に出ていないメンバーが多く先発しそうだ。水曜日の夜ではあるが、ぜひ足を運んで応援して欲しい。

(2013年9月10日)

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