Weps うち明け話 文:清尾 淳

#838

祭りの通行止め

 8月のある日、市内を車で走っていて、夏祭りに出くわした。

 浦和祭りのように大きな規模のイベントで、旧中仙道の一部を何時間も通行止めにする場合は、何日も前からあちこちに注意書きが立っているから、その時間帯に近くを通る際は迂回するなり、時間帯をずらすなりという対応ができる。
 しかし、町内の神輿や山車が通る場合は、立て札など当日でも立っていないことが多い。通れない道の入り口に赤い棒を持った警備員がいて、「祭りなんで」と言うだけだ。

 以前はこんなふうに思っていた。
 祭りだったら、道路を塞いで通れなくしてしまっていいのか。自由な通行を妨げるのは道路交通法違反じゃないか。警察に届けは出してあるのか。いや、届けが出してあっても周知されないと意味がない。看板があちこちに出してあれば、その道を避けていくこともできるが、現地に着いてから「通れない」では二重に困るじゃないか(プンプン)。

 だが今はこう思っている。
 町内の祭りの規模は大きくない。移動によって通れない道は時間によって、どんどん変わっていく。予定はあるだろうが、そのとおりに進行するかどうかもわからない。もし通行止めの看板を正確に立てるとしたら、「○○~○○、○時○分~○時○分、祭りのため通行止め」という看板が街中に乱立するだろう。
 そこまでしなくても、現場でうまくやってください、と警察が言っているのかもしれないし、現実に迂回で発生するロスタイムは1~2分だ。ルールはルールだが、状況に応じた運用は可能だし、年に一度か二度の祭りのときぐらい、目くじらを立てなくてもいいんじゃないか。

 ただ。

 今年のある日、ちょっと気になることがあった。
 路地を右折しようとすると、赤い棒を持った交通巡視員らしき人が例によって「すみません」と申し訳なさそうに通行できないことを示す。向こうには山車に子どもが群がっている。僕は、さて直進しようか左折しようか、その前に少しバックしないと、と考えていたのだが、そのとき祭り装束を着た男性と目が合った。
 その目は「こんなとこに入ってくんじゃねえよ、おっさん」と僕をバカにしているように見えた。
 完全に気のせいかもしれない。
 だけど、祭りのために公共の道路を短時間でも占有することを当たり前だと思っていないだろうか。本来その道を通りたい人が、祭りに配慮して迂回してくれているから、山車の運行ができるということを、いつの間にか忘れてはいないだろうか。迂回してくれるドライバーに対する感謝の気持ちなど全くなくなっているのではないだろうか。ほんの一部の人でも。

 車はとっくに祭りの場所から離れて、目的地(大原サッカー場だが)に向かっていたのだが、僕は「今のことはサポーターとクラブの関係に似ていないか」と思えてならなかった。
 サポーターの一部がルールを多少逸脱しても、大目に見られることに慣れてしまうと、それが本来は逸脱していることすら忘れてしまう。そこでクラブが歯止めを掛けないと、それが普通になり、そこからさらに逸脱が始まる。そういうことはなかっただろうか。いや、きっとあった。それが今回のことにつながっていないか。

 祭りの話に戻ると、「祭りだから」ということをまるで万能の許可証のように思ってしまい、昼間から酒を飲み(そのことは何ら悪いとは思わないが)、ひいては飲酒運転までしてしまう、ということもあるだろう。だが飲酒運転に「祭りだから」という許可証は全く通用しない。そんなことまで思考が進んでしまった。

 じゃあ、これからどうするのか。今まで考えては書かずに取り置いていたことが多いので、なかなかそこまで話が行かない。
 次はその話へ。アップは明日の朝になります。

(2014年9月26日)

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