Weps うち明け話 文:清尾 淳

#840

我慢というハードル

 レッズの試合を初めて見る人がいたら、あることに驚くかもしれない。

 それはバックパスや、最終ラインでのパス回しに対するレッズサポーターの反応だ。
 前線近くまでボールを運びながら、またストッパーやリベロまでボールを戻し、逆サイドに展開する。ときには、ハーフウェイライン付近から直接、GKの西川までボールを戻す。相手サポーターは、お約束のようにブーイングする。それに対して、レッズサポーターは拍手で応じる。

 ミシャ監督が就任した年は、バックパスに対する拍手などなかった。ボールを大事にして、自陣に相手が攻め込んで来ていても、滅多にクリアをしない。極力つないでビルドアップするサッカーだということは、広島時代からわかっていたが、だからと言ってやはりボールは早く相手陣内に運んで欲しいという気持ちが強く、一昨年、昨年は、「来いよ!」「前へ出せよ!」「ゴールはどっちだ!」という声が多く飛んでいたのだ。
 それが、今では拍手である。
 レッズのバックパスは、より大きなチャンスを作るための準備であることを多くのサポーターが理解しているからだ。GKへのバックパスが「逃げ」や「苦し紛れ」ではなく、逆に攻撃の起点になるなんて、レッズならではだろう。それを何度も経験しているレッズサポーターは、バックパスを含む最終ラインでのパス回しを、その後の展開を楽しみにして見るようになってきたのではないか。相手のブーイングへの対抗もあるだろうが。

 ミシャ監督が大事にしていることは、戦うこと、走ること、規律を守ることだ。そしてもう一つ、「我慢すること」も試合運びのポイントになっている。
 我慢にはいくつか種類がある。相手の激しい攻撃をしのぐことも我慢の形だ。だがレッズの場合はそれとは違い、「攻撃を急がない」我慢が中心となっている。
 相手が激しく来るとき、それへの反作用として我慢することは、比較的容易にできる。というか自然にそうならざるを得ない。
 しかし自分たちが主導権を握っているのに、無闇に攻めない、攻めかけてやり直す、という我慢は、より覚悟や勇気が必要なのだと思う。その背景には、これで点を取るという、自分たちのサッカーへの理解と自信がある。
 そして味方サポーターからの拍手は、選手たちの覚悟や勇気をより強くしてくれるものだと思う。

 我慢というと、消極的なイメージがある。
 しかしレッズの我慢は積極的我慢だ。それは「規律を守る」ということに入るのかもしれないが、覚悟や勇気がいるということにおいて、僕は「戦い」の中に入れたい。戦いの中で我慢という要素がいかに大事かをレッズのサッカーは教えてくれる。

 レッズの素晴らしい応援を取り戻すために、越えるべきハードルがいくつもある、と#839で書いた。
 仮に、クラブがいくつかのストッパーを外したとしても、それで一気に問題が解決するわけではない。
 今までは、あれができない、これができない、という中での応援だった。あれができる、これができる、となったときにどうするのか。サポーター自身が決めていかなくてはならない。それも、自由な中でも守るべきルールは守る、という姿勢を堅持しながら。
 ハードルの中には、耐えること、我慢すること、引くことなど、アクティブに見えないようなことも多く含まれると思う。
 強制力なしに、大勢が一つにまとまって何かをするのは簡単なことではない。「大勢」の中には嫌いな相手、苦手な相手もいるに違いない。その中で一致点を見出していくには、我慢も必要だし、ある部分では自分が引くことも必要だろう。

 まずは対話だと思う。クラブとサポーターではなく、サポーター同士の対話だ。すでに始まっているとは思うが、より多くのサポーターの中で今後どうしていくのかが話し合われて欲しい。

EXTRA
 9月27日のC大阪戦で、試合前のウォーミングアップが始まると、宇賀神友弥と森脇良太の歌が歌われた。
 本人たちはもちろん、喜び、感激していたが、僕は今年、新しい歌ができたことに、少し心を動かされた。
 あれができない、これができない、という状況の中で、いまサポーターができる積極的なことは何か。それは主力で頑張っている2人に対して、新しい歌で後押しすること。そういうことだったのではないか、と勝手に推測している。

(2014年9月29日)

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