Weps うち明け話 文:清尾 淳

#850

北からやってくる仲間たち④

 居酒屋「二合半」は現在、営業していない。
 ご主人が亡くなってから奥さんの佐々木フミさんが一人で切り盛りしていたが、フミさんも体調が悪くなり、今は休業中だ。
 にも関わらず、みなさんのお話を聞きたいと連絡すると、店を開けてくれた。もちろん一般営業ではない。
 雪の中を、約束の時間を10分過ぎた19時10分に到着。中では小上がりで8人の宴会が始まっていた。
 平日だから、みんな仕事帰り。だから19時に設定したのに、かなり出来上がっている人ばかり。だったら18時でも良かったのに。

 Kさんの話にウソはなかった。フミさんの話では、二合半を開いたのは30年前。その前は肉屋だった。スーパーに押されて経営が難しくなり転業した。そのころ佐々木善さんが三菱重工に就職。中学生のとき文集に「サッカー選手になりたい」と書いていたそうだ。
 Jリーグができ、三菱サッカー部が浦和レッズに移行する際、フミさんは「プロにならないで会社に残ったらどうだ」と持ちかけた。だが善さんは「俺は三菱重工に入ったんじゃない。サッカーやるために入ったんだ」とプロの道を選んだ。
 善さんは、三菱で9年、レッズで1年(92年)プレーし、その後、青森山田高校、日本電子専門学校などのサッカー部を指導している。
 
 初めて埼スタにバスツアーを敢行した07年10月28日は、バスの駐車場を予約していなかったが、警備員に「うまく言って」とめてしまったという。現在は「団体チケット」の申し込みをし、駐車場も予約している。クラブもよく知っているという。
 運転手は、かつて長距離トラックの運転手をしていたという谷藤さん。往復とも1人でハンドルを握る。だからみんなが気を遣う。帰りは寝ている人が多いが、交代で横で話したり、首を揉んだりする。 みんなの命を預かって長距離を走るのに緊張はないのか?
「なあに、後ろに積んでるのが肉か魚だと思えば(笑)」
「ちょっと待て、俺らは積荷か!」

 善さんの妹さん、典子さんは、日本代表派で、最初はJリーグに興味がなかったという。しかしKさんが来てからテレビでレッズを見るようになり、「強かったから」ファンになっていったらしい。僕は、初めてレッズを見たのが03年で良かったな、と思った。

 埼スタへのバスツアーは1年に1度の楽しみだ。山形がJ1にいたときは、山形戦にも行ったが、最近はホームだけ。
「なんか、行くたびに人が少なくなってないか。赤くなくなってる」
「寂しいけど、勝てないから仕方ないよ」
 そんな会話がされたが、ツアーをやめることはない。
「だって一番最初に行ったときの感激が忘れられないもの」
 そうフミさんは語る。
 07年の名古屋戦は52,314人の入りだった。あれが初回であったことが、みんなの心をつかんだのか。スコアレスドローだったが勝ち負けは関係なかった。埼スタにはそれだけの魅力があったな。

 気がつけば23時を回っていた。一般営業ではないから、閉店もないが、さすがに遅くなったので、みなさんに挨拶をして二合半を出た。難しいかもしれないが、いつか営業を再開してくれたら、誰かサポーターを何人か連れて行ってみたい。
EXTRA
 今回、フミさんは体調が優れないためツアーに参加しない予定だった。それが試合が近づいて来たら、やっぱり来ることにしたという。
 昨日は何時に秋田を出たのだろうか。谷藤ドライバーの安全運転と、フミさんたち参加者が元気で埼スタに到着することを祈る。
 そして帰りにはもっと元気になっていることを切に祈る。

※写真 二合半に集まってくれた北の仲間たち

(2014年11月22日)

  • BACK
 
ページトップへ