#851
傷心からの復活
鹿島戦で傷ついた興梠が、G大阪戦の前日、記者に囲まれて「これでサッカーができなくなってもいいから、(試合に出て)勝ちたい」と語った。
客観的な状況から言えば、怪我が治ったばかりの興梠に無理はして欲しくないから、興梠が出場せずにG大阪に勝てば一番良い。たとえG大阪に引き分けたとしても、あるいは最悪負けたとしても、レッズは自力優勝できる唯一のチームなのだから、興梠にには、より万全に近くなる鳥栖戦や名古屋戦で出場してもらった方がベターだ。
だが興梠のその言葉は、いかにG大阪戦での優勝を強く願っていたかを示すものだ。
興梠だけではなく、「ここで決める」という気持ちを強く持っていた選手も少なくない。そういう思いが強かった選手ほど、22日(土)の敗戦から切り替えるのは簡単ではないだろう。最終戦、あるいは決勝のようなつもりでG大阪戦に向かっていれば、まだ2試合ある、ということが現実のこととしてすぐには受け止められないかもしれない。
試合後の柏木の様子はまさにそうだった。
人間というのは傷つく存在だ。傷つくというと、ケガとか病気ということがまず思い浮かぶ。それだけなら機械も同じだ。機械と違うところは心が傷つく存在だということだ。
ケガや病気は、重篤なものでなければ、自然に治癒するものもあるし、自然には治らなくても医療によって完治する、または治りが早くなる。心が傷ついたときも同様で、時間が経てば、あるいは周りからのフォローや自分自身の努力で立ち直ることができる。
しかし、ケガや病気は専門医による診断で治癒までの期間の見当がつくかもしれないが、心の傷つき方の度合いは他人からはわかりにくい。たとえば、信頼してきた相手、尽くしてきた相手に裏切られた、などという場合は、しばらく立ち直れないほど深く傷つくことがある。それも傷つけた当の相手が、その傷の深さに気がつかなかったりすることもあるだろう。
あいつなら後でフォローできるさ、と。
話が少し飛躍した。
ここで言いたいことはこうだ。
試合後「すぐには切り替えられない」と言った柏木。たしかにそうかもしれない。
だが柏木は、レッズは、仲間に裏切られたわけではない。
あの日、埼玉スタジアムに集まった56,758人のうち、G大阪ファン・サポーターを除くすべての人。テレビの前で見守っていたすべてのレッズファン・サポーター。誰一人として、チームを裏切ったわけではない。期待とは違う結果に終わっても、「残り2試合勝とう」という強いエールを送ってくれたはずだ。裏切られたどころか、勝つために一つになろうという結束は、ますます固くなったのではないか。
だから、選手たちはG大阪戦の前よりももっと強い気持ちで鳥栖戦に臨んでくれる。
そう信じている。
(2014年11月25日)