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Weps うち明け話 #1077

歓喜の倍増と目減り(2021年4月5日)

 

 16年半も前のことだから、記憶はだいぶ変化しているかもしれないが、いま覚えているとおりに言う。

 

 2004年11月20日、Jリーグ第2ステージ第13節・名古屋戦(駒場)。

 前節終了時で、2位に勝点7差、3位に勝点10差をつけ、残り3試合だった。

 勝てば2位の結果には関わらずレッズのステージ優勝が決まる試合で、サポーターは超がつく大量の紙吹雪を用意した。

 約27トン(MDPはみ出し話#353参照)の紙吹雪がキックオフと同時に舞ったところを上空から撮影した映像を後日見たら、紙吹雪の密度が濃すぎて、駒場が一気に上方へ膨れ上がったように見えた。

 

 試合は1-2で名古屋の勝ちで終わった。

 その日、僕は試合が終わったときはピッチでカメラを構えていて、こんなふうに思っていた。

「もう優勝はほぼ間違いないけど、できればホームで優勝して欲しいし、サポーターが何日も掛けて紙吹雪を用意した今日決めて欲しかったなあ…。残念だ…」

「いや違う。リーグ戦なんだから、2位が負ければ同じこと。2位はガンバだよな。きょうはどこと試合だっけ…」

 

 G大阪の相手は横浜F・マリノス、会場は万博だったが、自分たちが勝つと信じていて、ガンバの相手すら気にしていなかった。だが、すぐに朝井夏海さんの場内アナウンスが始まった。

「他会場の結果をお知らせします。○○対△△は3-2で○○が勝ちました。××対▽▽は…」

 

 第13節はラスト3試合の最初なので、この節から8試合とも試合開始時間は同時だった。それでも1~2分の差はある。レッズ対名古屋は14時3分。G大阪対横浜FMは14時4分で、大分対鹿島戦と並んで一番遅かった。

 朝井さんが単純に試合開始時間順にアナウンスをしたのか、わざとG大阪対横浜FMを最後にしたのかはわからない。とにかくレッズ対名古屋以外の6試合が終わったから残るは1試合しかない。

「そして、ガンバ大阪対横浜F・マリノスは…」

 明るい声だった。そして、ここでひと息ためた。

「0対2で横浜F・マリノスが勝ちました!」

 

 やった、優勝だ!

 僕はカメラをスタンドに向けて構えた。次の瞬間、朝井さんの声が続けた。

「この結果、浦和レッズはセカンドステージで優勝しました!」

 駒場のバックスタンド2階から、1階から、ゴール裏から、メーンスタンドからも舞い上がる紙吹雪。みんな拾って準備していたんだな。

 たしか、「0対2で横浜F・マリノスが勝ちました!」の段階でも、ほんの一部から紙吹雪が飛んだと思う。だが、猛吹雪になったのは、やはり「優勝しました!」のときだった。

 そう言われなくても、ほとんどのファン・サポーターはG大阪が負けたからレッズが優勝したことを知っていたに違いない。だが「優勝しました!」の声が、一斉に「歓喜を爆発させる」タイミングをみんなに与えてくれたと思う。それで喜びが何倍にもなった。

 

 毎度長い前置きが終了。ここからが本題。

 

 スタジアムでサッカーを見る人、特にどちらかのチームに肩入れしている人は、「歓喜を爆発させる」ことを目的の一つとして行っているんだろうと思う。それも自分ひとりで盛り上がるより、広い意味の仲間であるファン・サポーターとタイミングを合わせた方が、歓喜が何倍にもなるはずだ。

 その最たるものは、応援するチームのゴールが決まった瞬間と試合に勝った瞬間だろう。

 

 試合が終わるタイミングはレフェリーの笛がないとわからない。逆に笛があるから全員に勝った瞬間がわかる。

 ではゴールの瞬間は?

 もちろん相手ゴールのネットが揺れた瞬間だ。ときどき、入ったかどうかわからないようなゴールもあるが、そのときはレフェリーのゼスチャーが合図になる。

 それが先制点や勝ち越し点、あるいは素晴らしい流れからの美しいゴールであれば、歓喜のレベルはさらに上がるに違いない。

 

 たとえば4月3日(土)の鹿島戦で明本が決めた先制点。槙野がPKで決めた勝ち越し点。そして関根が頭で決めた「3点目」。

 僕は、どのゴールが一番うれしかっただろうか。どれも大事なゴールだったのだが、もし記者席に設置された防犯カメラに録られていれば(そんなのあるのか?)、たぶん関根のヘッドがゴールを揺らした瞬間が一番身体を動かして喜んでいたと思う。

 左サイドをコンビネーションで崩し、抜け出した山中が渾身のクロス。小泉と並んでゴール前に走った関根が最後はダイビング気味に低い体勢でヘディングシュート。その展開の美しさと、関根の今季初ゴール。そして勝ち越した4分後に突き放すという、たたみ掛けるような攻撃。いろんな要素が重なったのだろう。

 

 だが「3点目」は幻に終わった。

 ゴールの7秒前の武藤のハンドがVARによって見つけ出されたからだ。

 ルールがそうなったことは知っている。鹿島は以前、もっと長い時間さかのぼってゴールが取り消された(20秒?)。

 知っているが、あの歓喜はなんだったのだろう。たとえ幻でも、そのときは思いきり喜んだのだからいいじゃないか。そういう見方もあるだろう。

 だが、そのうちゴールのとき、心のどこかに「もしかして、また…」という思いを抱きながら喜ぶことになるのではないか。つまり心の底から喜べなくなるのではないか。

 

 この関根のゴールだけではないし、レッズだけでもない。

 J1リーグの各試合で同じことが起こっているだろう。

 かつては、「審判も人間、間違うこともあれば、微妙なジャッジがどちらに転ぶかで勝敗が決まることもある。それがサッカー」と言われてきた。その上で、ゴールという歓喜の瞬間を楽しんできた。

 いまは、「人間が見落としたファウルを、試合を止め、時間を戻してビデオによって検証し、重大なミスジャッジを防ぐのがサッカー」となっている。

 

 ブツ切りだとか重箱の隅をつつくだとか、いろいろな言われ方をしているVARの導入。それも仕方がないとは思っている。また少々のファウルは見逃せと言っているわけでもない。あの関根のヘッドの7秒前に武藤の手がボールに触れたのは間違いないようだ。だから、そのときにレフェリーが笛を吹いておけば、その後の展開もなく、関根の「3点目」で歓喜を味わうこともなかった。

 どうしたらいいのか。まだ思いつかない。

 

 僕はとにかくサッカーで最も心が解放される瞬間=ゴール後の歓喜が目減りしてしまうことが怖い。


(文:清尾 淳)