Weps うち明け話 文:清尾 淳

#949

放送

 僕が一次キャンプ中にお世話になっている宿「ペンションほろほろ」は、国頭郡恩納村というところにあり、国頭郡金武町の練習場までは車で20分程度。沖縄本島のほぼ中央を、北西から南東へ横断するような感じで移動している。
 恩納村では毎朝7時半に村内放送が流れる。
 子どもは学校へ行く時間だよ。忘れ物がないか、注意しようね、などという内容。
 夕方(17時半ごろ?)にも流れる。
 そろそろ家に帰ろうね。大人のみなさん、まだ遊んでいる子がいたら一声かけてくださいね、てな内容だ。
 おそらく緊急放送設備のテストを兼ねているのではないかと思われるが、浦和でたまにある「迷い人」の放送はまだ聞いていない。

 キャンプ地の金武町でも17時半になると放送が流れた。朝の7時半にはそこに居たことがないので、放送があるのかないのかわからない。
 金武町の放送は、コテコテの(この言葉、大阪弁以外にも使えるのか?)沖縄の方言で行われるので、何を言っているのかわからない。「時間」というのは聞こえた。サウジアラビアで数時間ごとに聞いた「コーラン」を思い出した。沖縄ことばを使えない子どもたちが増えているので、あえてそうしているのではないか、とペンションの奥さんが言っていた。なるほど。全国でも、こんな放送は珍しいのではないかと思う。

 恩納村の放送は子どもの声で、「恩納村学力向上推進委員会でした」で終わる。録音なのかもしれないが、しっかりした放送だった。
 それで、恥ずかしくて顔が赤くなる経験がよみがえってきた。

 僕は小学5年生のとき、学校の放送委員をやっていた。放送委員は週に2回当番が回ってきて、朝と昼休みと放課後の掃除の時間に音楽をかける仕事がある。もちろんCDとかデータではなく、レコードだ。「ピーターと狼」なんて懐かしいな。

 余談だが、そのころ僕はある工夫を思いついた。4時限目の授業が終わるとすぐに放送室へ行って、設備のスイッチを入れ、レコードを回してから針を落とす(この光景が頭に浮かぶのは何歳までだろう)。それほど大きな校舎ではなかったが、放送室へ行くのに少しは時間がかかるし、ちょっとでもグズグズしていると、チャイムが鳴り終わってしばらくしても何も音楽が流れないという状況になる。その空白(こういうのを放送事故というのか)の時間を作りたくなかったので、最初は走って放送室へ行っていた。
 ところがあるとき、チャイムが鳴り始めると放送設備のスイッチを入れなくても電気系統がオンになり、鳴り終わってしばらくするとオフになることに気が付いた。ふーん、こういう仕組みになっているのか。これは使えるかもしれない。
 ある日、僕は早めに放送室へ行き、かけるレコードに針を置いて、チャイムが鳴るのを待った。鳴り始めるとターンテーブルが回り始める。チャイムの音が大きいので音楽が流れていることは、ほとんどわからない。知っていれば気が付くぐらいだ。そしてチャイムが鳴り終わる前にスイッチを入れれば、鳴り終わってもオフにはならず、音楽だけが流れ続ける、というわけだ。イントロがチャイムにかぶってしまうが、タイムラグなく音楽を流すことができる。
 この“画期的なシステム”を使えば、走って放送室に行かなくても、チャイムが鳴り終わって数十秒以内にスイッチを入れれば良くなった。「必要は発明の母」というのは正しい。

 余談が(いつもどおり)長くなった。
 昼休みは音楽を流すだけでなく、アナウンスをすることになっている。内容は自分たちで考えるのではなく、先生が書いてくれた原稿を、昼休みの始まりと終わりの2回読む。当番は上級生と下級生の2人1組でやることになっていて、僕は同級生の妹と組んでおり、何故かは覚えていないが、その子に先に読んでもらうことにしていた。  ある日、その子がもらった原稿をチェックして言った。
「これ、『ゲル』でいんか?(良いのか?)」
 小学校の先生だから、書かれた字はきれいだ。だが板書ではなく、原稿用紙だから少し崩し気味に書かれている。問われた箇所を見ると確かに「ゲル」と読めた。
「いんじゃね」
 僕は無責任にそう答えた。放送が始まり、その子が原稿を読み始めた。
「きょうはゲルといって、いちねんのなかでひるまのじかんがいちばんながいひです…」
 ん? 何だゲルって?
 どう考えても意味が通じない。そのうち僕の番が来たので、意味がわからないまま、原稿を読んだ。「ゲル」のところは少し小声になった気がする。放送時間が終わっても、ずっと考えていた。

 1年の中で昼間の時間が一番長い日…、何だっけ? 先生に返す前にもう一度、原稿を見た。さっきは「ゲル」にしか読めなかった字が「ゲシ」に見えた。そうだ、夏至だ!
 先生は下級生の子が読むことを考えて漢字ではなくカタカナで書いたのだろう。しかし「シ」の2つの点が、つながっていたので、「ル」に見えたのだ。もし僕が先に読むことにしていたら、意味が通らないからと必死で考えただろう。しかし下級生の子に先に読ませ、その子が「ル」と見たので、僕も前後の文を全く読まず、原稿の文字だけを見て「ル」で良いと言ってしまったのだ。
 先生が漢字で「夏至」と書き、「ゲシ」とルビを振ってくれていれば問題はなかった。そうすれば、その子が「夏至ってなんや?」と尋ねてきて、そこで先輩らしく夏至と冬至と春分・秋分の日の説明をしてあげただろう。姉に似て可愛い子だったのだ(笑)。
 でも先生が悪いわけではなく、読みにくい字を先輩に聞いたその子が悪いわけでもなく、事前にチェックしなかった現場の責任者の僕が一番悪い。その子に「ゲル」と読ませてしまったことを、ずっと後悔していた。後で謝ったかというと、その勇気もなかったのだが。

 思えば、あの放送委員を務めた年は、僕がメディアの道に進む原点だったのかもしれない。
 思い込みのまま、間違いを世に出してしまい、後で後悔する、という原点でもあったのだが(成長せい!)。

 レッズにあまり(全く)関係のない話だった。すみません。

(2018年1月26日)

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