Weps うち明け話 文:清尾 淳

#962

我慢した交代枠「残り1枚」(真っ赤な3週間・その2)

 4月4日(水)、広島戦。大槻監督にとって、指揮を執り始めてわずか3日目に初陣を迎えるという難しい状況ではあったが、その背景が後押しになったこともある。

 中2日でアウェイ連戦。リーグ戦ではなくルヴァンカップ。エディオンスタジアム広島で先発全員入れ替えというメンバー表を見て、無理なく受け容れられたからだ。

 相手の広島も前節から先発が全員変更されたチームだったが、“消化試合”などではなかった。

 這い上がることを目指す選手たち同士の真剣勝負。オープンな展開が多かったが、それだけに激しい戦いだった。スコアレスドローだったし、レッズの持ち味である連係はあまり多く見られなかったが、選手たちの闘志は十分に伝わってきた。

 この広島戦について大槻監督は「あの試合には熱があった」と語っている。4月2日(月)の初練習で「躍動することを望んでいた選手たち」に、その場を提供し、「躍動することを求めた」結果だ。

 一方、先発から、さらにベンチからも外れた選手たちの心境は、「この後、中2日で迎える土曜日のリーグ仙台戦に向けて自分は温存された」というだけのものではなかっただろう。

 大槻氏は「監督が替わった後の特別な試合にしてはいけない」と述べ、「『今日のレッズは戦っていた』と言われるのではなく、『今日も戦っている』というチームにしていかなければいけない」と続けた。

 これはチーム全体に向けて述べた言葉だが、特に広島戦に出場しなかった選手たち、すなわち土曜日のJリーグ仙台戦に出場予定の選手たちへの言葉でもあった。言われるまでもなく、広島戦をベンチで、あるいはテレビで見ていた選手たちの闘志に火がついただろう。

 大槻監督が指揮を執った6試合はリーグ戦3連勝を含む4勝2分けという上々の成績だったが、この4月4日の広島戦が、一つの分岐点だったと言える。


 4月7日(土)、仙台戦。

 仙台市出身であり、くしくも東日本大震災が起きた2011年にベガルタのコーチを務めていた大槻監督にとっては、Jクラブの中で最も思い入れがある相手に違いない。だが、そんなことを表に出すことは全くなかった。

 この日のメンバーは3日前から先発10人が変更された。それよりも驚いたのは4日の広島戦では4-4-2のシステムで戦ったのが、この仙台戦には3-5-2で臨んだことだった。「相手の仙台のやり方に対して、自分たちがどういうことをやっていくか、と考えたときにこのシステムが良いだろう」ということと同時に「選手それぞれの特性を生かしたサッカーをしたかった」というのが大きな理由だった。

 大槻監督は、しばらくトップチームには直接関わっていなかったが、「試合は見ていたし、新戦力が入ったときはどういう選手か興味を持っていた。またユースの選手を練習に送り出したときなども見ていて、ある程度のことは把握していた」ことを明かした。

 そして、この試合で平川忠亮が右ウイングバックで今季初出場した。これでフィールドプレーヤーは全員出場機会を得たことになる。チームを再生しなくてはいけない時期に、なるべくフラットな状態で選手たちの競争を促進する意図があったのかもしれない。

 前半はシステムの狙いが当たった。5分に武藤の縦パスを受けた興梠が先制。その後もよくボールが興梠に入り、チャンスを作った。

 しかし前半1-0から後半逆転負けしたことが今季2回。それがリーグ戦未勝利の原因であり、この試合も後半になると何度もピンチを迎えた。62分に武藤からナバウト、70分に菊池から森脇に交代が行われると盛り返し、また攻勢を取るようになったが追加点は奪えないという時間が続いた。

 すると85分に森脇が右太もも裏を痛めてプレー不可能に。そこで大槻監督は森脇に代えて長澤を入れた。もしその前に3枚目の交代カードを使ってしまっていたら最後の5分+アディショナルタイムを10人で戦わねばならず、勝点3は取れていなかったかもしれない。虎の子の1点を守り切らなければならない状況で、85分まで交代枠を1つ残しておいたのはなぜか。

 大槻監督は「私の判断基準がまだ十分伝わっておらず、選手たちが無駄なエネルギーを使ってしまうことがあったかもしれない。そのため全員に疲労が溜まってきて、誰かがプレーできなくなったときのために交代枠を1枚とっておかなければならなかった」と語っている。おそらく途中出場した森脇は「誰か」として想定されていなかっただろうから、先発した選手たちが歯を食いしばって戦い続け、大槻監督が我慢し続けた結果の「残り1枚」だったと言うしかない。

 リーグ戦5試合未勝利の後、当時2位の仙台からホームで今季初勝利。

 これは、4月2日の始動開始から取り組んできた、闘志を前面に出させる指導、選手の特性に合わせたシステム、それに応えた選手たち、などチーム全体で勝ち取ったことは間違いないが、交代枠を取っておいた件に関しては「大槻監督、持ってるな」とつぶやかずにいられなかった。

(続く)

(2018年6月20日)

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