Weps うち明け話 文:清尾 淳

#965

彼が残したもの(真っ赤な3週間・その5)

 3週間、と任期がはっきり決まっていたわけではないだろうが、大槻監督は自分が「暫定」であることをしっかりと認識し、そのタスクを確実に遂行していった。


 与えられた任務の第一は、もちろん成績の改善に他ならない。就任時はリーグ戦5試合で勝点2。新監督に引き継ぐまでには、降格の不安がつきまとう17位という順位から抜け出しておかなければならなかった。結果としてリーグ戦では3勝3分け3敗と星を五分に戻し、9位にまで順位を引き上げた。またルヴァンカップではグループステージ1位タイにしてオリヴェイラ監督にチームを渡した。

 何より指揮を執った公式戦6試合を4勝2分け。とりわけ埼スタでの2勝は、勝ち試合に飢えていたファン・サポーターの渇きを癒やしてくれた。


 その成績を挙げるために打った手は、まず選手全員に出場機会を与え、新しい刺激による競争心を煽ったこと。それまで出場数の少なかった選手の活躍が、チームを活性化した。

 そして次期監督の就任が間近なときに、新しい戦術やシステムを構築する意味はない。ルヴァンカップでは4バック、リーグ戦では3バックと、出場する選手の特性を生かして2通りのシステムを採用したが、勝つために大槻監督が選手たちに求めたのは、「戦うこと」「走ること」「コーチングすること」という基本的な、かつ勝利に必要不可欠な、プレーの姿勢だった。

 仙台戦の前には「監督が替わった試合だからではなく、いつも運動量が多くなければいけないし、いつも球際で強くなければいけないし、いつも大きな声でコーチングをしなければいけない。『今日のレッズは戦っていた』と言われるのではなく、『今日も戦っている』というチームにならなければいけない」(MDP538号)、とチームのベースになるべきことを語り、清水戦の前には「試合が続いているが、試合が来るのが喜ばしい、プレーできるのが喜ばしい、勝つことができて喜ばしい、というメンタリティーになるのか、連戦だからきつい、回復が大変だというメンタリティーになるのか、どちらが良いだろうか。私は前者だと思う」(MDP539号)と選手たちに疲労の中でも顔を上げるよう求めた。

 もちろん大槻監督の得意分野でもある、相手の分析はじっくり行い、選手たちに徹底した。家には寝に帰るだけの毎日だった。


 そしてMDP539号(清水戦)で語った「勝っていても負けていても同点でも、どんなに苦しい状態でも戦いなさい、走りなさい。そうすれば、この埼玉スタジアムは絶対に我々の味方になってくれる。そういう姿勢を見せずして、応援してもらおうと思うのは間違っている。ファン・サポーターのみなさんは、選手たちが戦うところを見に来ているし、浦和レッズのために何かをやってくれるところを見に来ている。埼スタが熱く応援してくれているのは、我々が戦っている証だ。それだけは絶対に忘れてはいけない」という言葉で、大槻毅という指導者がいかに浦和レッズというクラブを深く理解しているか、我々はあらためて知ることとなった。

 2004年にレッズ入りしてからずっと、ファン・サポーターの前に姿を現すことはあまりなかったが、クラブの強化畑にさまざまな形で携わりながら、レッズの核であるトップチームから目を離さなかったに違いない。


 4月21日(土)の札幌戦。大槻監督のラストゲームを惜しむ声があふれた。しかし彼は「自分の最後の試合というのは、どうでもいいこと」とし、勝つことだけを考えようと選手にもサポーターにも呼びかけた。これまでの流れから言えば、自分の最後の采配というのがモチベーションになるなら、それも利用してやろうと考えるはず。あえて、そうしなかったのは、これが札幌戦だったからではないか。

 歴代監督で最長の5シーズン半在籍し、レッズに新しいサッカーを植え付けたミハイロ・ペトロヴィッチ監督。今のレッズの選手の多くは「ミシャの息子たち」と言っていい。サポーターも再会を楽しみにしている部分が少なからずあったはず。それが試合に微妙な影響を及ぼさないはずがない。だから、あえて「自分のラストゲームだということなど考えるな」と強調することで、ミシャへの思いも一緒に排除したかったのではないか、というのは考えすぎだろうか。


 大槻監督が残したもの。

 成績の向上だけではない。萎えかけていた選手たちの「戦う気持ち」をしっかりとよみがえらせた。そして浦和レッズのユニフォームを着る者が忘れてはいけないことは何かを思い出させた。同時にファン・サポーターにも「だから一緒に闘ってくれ」と言外に呼びかけた。

 20日間というのは、森孝慈氏からオズワルド・オリヴェイラ氏まで、浦和レッズの監督という職に就いた19人の中で最も短い任期だ。

 だが、間違いなく真っ赤に彩られた3週間だった。(終)

(2018年6月28日)

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