Weps うち明け話 文:清尾 淳

#969

好事魔多し

 好事魔多し。


 本来の用法とは、ちょっと違うのかもしれないが、10月7日(日)のベガルタ仙台戦が終わったとき、この言葉が頭に浮かんだ。


 あの試合、前半はピンチも多少あったがほぼレッズペースだと言っていい展開だった。少なくとも決定機の数はレッズがだいぶ上回っていた。そんな中で、橋岡のプロ初ゴールによる先制点が生まれた。選手の初ゴールは誰でもうれしいものだが、出場メンバーで群を抜いて若い橋岡の初得点はチームメートも大いに喜んだ。しかも左サイドのスローインから、手数を掛けずにロングクロスに点で合わせるという、胸がすくような展開だった。

 そして、その後は何度も追加点のチャンスを迎えた。サッカーは点を取るとリズムに乗ることが多いが、レッズはその前から何度も好機を作っており、その流れでの先制点、さらに勢いがついた感じだった。


 主導権を握り、先制点を挙げ、その後も決定機を作り…。

 何度経験しても、人間というのはこういう状況の中で、知らず知らずに緩みが出てしまうのかもしれない。一番気を付けていたはずのセットプレーで追いつかれてしまった。仙台の板倉選手の動きとヘディングシュートは素晴らしかったが、防ぎようはあったはずだと思うと、非常にもったいなかった。

 なんの、振り出しに戻っただけ。前半の展開なら2点目は奪える。

 そうはいかないことを何度も経験しているし、今回もそうだった。結果は1-1のドロー。前半のチャンスにもう1点取れていれば、という「タラレバ」が頭に浮かぶが、その前半何度もチャンスを作ったことこそ、失点を招いた遠因だったかもしれない、と思い直した。

 もちろん、チャンスは多い方が良い。ただ、それが緩みにつながらないようにすることが大事であり非常に難しいことなのだ。チャンスに点を取れてしまえば勝利に近付くが、チャンスを山ほど作るだけでは何も進んでいないのに、緩んでしまえば、だんだんと落とし穴に近付くようなものだ。


 好事魔多し、とは「良いことには、とかく邪魔がはいりやすい」という意味だとされるが、それは運命的なものではなく、良い状況にある者が自ら「魔」を引き寄せているのかもしれない。

 勝って兜の緒を締めよ、とも言うが、勝ってもいないのに兜の緒を緩めてはいけないのだ。

EXTRAって、いつの話書いてんだよ!

 まったくもって亀より遅いサイクルだが、ご容赦を。

(2018年10月26日)

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